日本の公害の原点【静岡市の許認可なら久保山行政書士事務所】
こんにちは。静岡市で行政書士事務所を行っております、久保山行政書士事務所です。
訪問者の皆様、ご訪問ありがとございます。つれづれなるままに書き連ねていきたいと 思いますのでよろしくお願いします。 たまたまTVで田中正造についての番組をやっていたので、日本における公害問題の原点である足尾銅山鉱毒問題についてお話ししたいと思います。 第1回ということでもっと身近な話題をと思ったのですが、日本の公害問題をその原点 となる事件から見ておくのも今後の展開にとても良いことだと思いますので、取り上げる事としました。 ご存じの方も多いとは思いますが、栃木県にあった足尾銅山の銅鉱石の採掘及び精錬によって生ずる渡良瀬川流域の鉱毒による魚のへい死や稲の青枯れが発生したばかりではなく、乳幼児死亡率の増加などの現象もあったそうです。また、洞の精錬による排ガスに含まれる二酸化硫黄によって広い範囲の木や草が枯れ、禿山ばかりが目立つ土地になったそうです。 このような事態に地元の人たちは会社、県や国に対し投獄者も出すほどの激烈な反対運動を行ったそうです。そのリーダの一人であったのが地元の名士であり衆議院議員を務めていた田中正造でした。なかなか腰を上げようとしないばかりか時には弾圧までした県ですが、田中が当時の明治天皇への直訴までした結果、全国的に足尾銅山の問題が知られるようになりました。ここでようやく、県や国は重い腰を上げ、渡良瀬川に遊水地を設けて渡良瀬川が増水した時に鉱毒を含んだ水が氾濫することを防いだそうです。しかし、この策は地元住民を反対派と賛成派に二分することとなったそうです。田中正造は遊水地となってしまった谷中村の住民に申し訳なく思い自ら谷中村に居住しました。ここまでできる人は現にいたのですから皆無とは言いませんが、現代においても滅多にいないでしょう。 この鉱毒事件はのちの昭和40年ごろの水俣病、イタイイタイ病、第二水俣病や四日市ぜんそく等の問題の先取りでありました。これらの公害病においても第二、第三の田中正造がいたかもしれません。公害問題が全国的な問題となり昭和45年に公害国会が開かれました。そして、今日の一連の環境法制につながっていくのです。 今を生きる私たちも様々な環境問題に直面しています、。田中正造のようなことは私には とても出来ませんが、私たちも少しでも出来る範囲で問題にかかわって行くことが必要ではないでしょうか。 第1回目は堅い話になってしまいましたが、第2回以降はもっとくだけた身近なお話しにしたいと思います。 追記 現在の足尾銅山はその役目を終え観光名所となっているそうです。そして、周辺の山々は植林によってもとの緑を取り戻しつつあるそうです。しかし、有害物質の除去等の対策は今でも続いているそうです。
久保山行政書士事務所
住所:静岡県静岡市葵区田町2-33-2
電話番号:054-221-5344
NEW
-
2024.08.10
-
2023.10.01廃棄物についてNo6皆さん、こんにちは。 行政書士の久保山です。土...
-
2023.09.16廃棄物についてNo5皆さん、こんにちは。 行政書士の久保山です。 ...
-
2023.09.05廃棄物についてNO4皆さん、こんにちは。 行政書士の久保山です。 ...
-
2023.08.31廃棄物についてNo3皆さん、こんにちは。 行政書士の久保山です。 ...
-
2023.08.26廃棄物についてNo2廃棄物についてNo2 こんにちは。行政書士の久保山...
-
2023.08.19廃棄物についてN01皆さん、こんにちは。行政書士の久保山です。 も...
-
2023.07.19計量法(検定と検査に...皆さん、こんにちは。行政書士の久保山です。 今...